続怪談



01

 出しっぱなしの水道の音と、皿のこすれ合う音の間で声がした。
 「ねえパパ」
 聞こえてくる方を見ると、小さな踏み台を持って近寄ってくるみぬきが見えた。
 「どうしたの」と声をかけると、ガタンと踏み台を置いたみぬきはその上に足をのせた。
 「手伝うよ」
 そう言ってみぬきはぼくの顔を見上げた。
 「ああ。ありがとう」
 ぼくは干してあった布巾をとるとみぬきにわたした。
 流しから見る外はすっかり暗くなり、向かいの家はどこも電気をつけていない。わずかに並んだ街灯だけが、ここは見知った通りなのだと教えてくれていた。
 みぬきは仕事を終えたばかりで、ぼくも急いで夕飯の買い物を済まして帰ってきところだ。おかげでふたりでとる夕食は、世間の同い年の子供を持った親子と比べて非常識な時間になる。そんなわけで後片づけもこうして寝静まった隣近所を気にしながらひっそりとすることになる。
 ぼくはみぬきの茶碗をゆすいで水切りに置いた。すると隣でカタンと音がした。
 「あ、なんでもないよ」
 見ればみぬきが茶碗を取り落とした音だった。
 ちらりと時計を見ると、すでにみぬきのいつもの就寝時間を過ぎていた。
 「もう寝たら?」
 すると、みぬきは持っていた湯呑みを置いて上目遣いにぼくを見た。
 「パパ、あのね聞いてほしいの」
 一瞬息が詰まってドキリとした。
 世間の親がどうかは知らないが、子どもに真剣な顔で話を持ちかけられれば何やら嫌な予感がするものだ。ぼくは動揺をなるべく表に出さずに水を止めた。
 「なに?」
 そう言うと、みぬきは部屋の隅に目を向けた。
 「え、なに?」
 ぼくも同じ方向を向いてみた。最初は壁掛けの時計を見ているのかと思ったが、みぬきが見ていたのは部屋の角の空間だった。
 「怖いの・・・」
 ぽつりと言うみぬきに、ぼくは慌てて目線を戻した。みぬきはまだ部屋の角を見ていた。
 「なにもないけど」
 ぼくが言うとみぬきはふるふると頭をふり、そしてようやくぼくの目を見上げた。
 「パパには見えないの!でもね、ときどきあそこにオバケが立ってるの!本当なんだよ!」
 ぼくはちょっと呆気にとられて、みぬきの必死そうな瞳を見ていた。
 なにしろぼくの頭はみぬきが学校でいじめられているだとか、勉強に着いていけないだとかのネガティブな想像で埋め尽くされていたのだ。まさか”オバケ”と来るとは思っていなかった。
 そんなぼくの顔を見てか、みぬきは大げさに頬を膨らませた。
 「信じてないでしょう」
 「・・・まあね」
 ぼくはまたコックをひねって水を出した。シンクに最後に残っていた一枚を持ち上げると、みぬきは恨みがましい目で、「みぬきには、幽霊が出るって教えたくせに」と言った。
 そのセリフにぼくが苦い顔をしていると、「ね、いるの。いるんだよ」と畳みかけてきた。
 ぼくは一回深いため息をついてみぬきに向き直った。
 「わかった。信じるよ。ウチにはオバケが出る」
 渋々言うと、みぬきはまた布巾をつかんで作業を再開した。
 「ほんと、怖いよね」
 そう言うとみぬきはまた作業に没頭した。それでもぼくはみぬきが何か続きを言うんじゃないかと思ってしばらく見ていたが、やがてあきらめて最後の一枚に手を伸ばした。
 「オバケってさ、どんなの?そんなに怖いの?」
 先に終わってしまったぼくは、布巾をつかんでみぬきの手伝いに移っていた。
 「すごおく、怖いの」
 しゃべり方に熱の入っているのが可愛らしく見えた。
 「あのね、ウソをつくと取りつかれちゃうの。取りつかれると、いつも後ろをついてきたり、夢に見たりするの。だからね、パパ。ウソはついちゃ駄目。わかった?」
 「はいはい」
 いかにも気のない返事だったが、その実ぼくは心中で微笑んでいた。
 オバケなんか信じていないように見えていたが、まるきりそうでもないようだ。”怖い”などと言ってすがられると父親であるという事実がしっかりと実感される。
 「心配しなくても、パパがいるだろ」
 ぼくはみぬきの柔らかい髪にそっと触れた。
 見上げてきたみぬきの顔はまだ不安な色を帯びていた。
 



02

 玄関の靴を片付けながら、夕食は何にしようかなどと他愛のないことを考えていた。
 冷蔵庫の中身を考えると結局あとで買い物に行かなければならないだろう。
 せっかくの休みも結局大したことが出来ずに終わってしまったが、一日の終わりぐらい少し気合いを入れてもいいだろう。私は玄関から部屋の中に戻ろうと歩き出した。
 が、また足を止めねばならなかった。玄関から呼び鈴の音がしてきたのだ。
 インターホンに出ようと部屋の奥に進もうとしたが、その人物は待つ気がないようでドアをガンガンと叩きはじめた。私はその音に顔をしかめながらも、しょうがなくまた玄関まで舞い戻った。
 こうして訪ねてくる人物に見当がついた私は、迷うことなく扉を開けた。
 「やあ」
 「・・・・・・」
 そこに立っていたのは、息を切らして汗だくになった成歩堂だった。
 「久しぶりだな。一年くらいだったか」
 成歩堂はそでで額の汗を拭ってなんとか立ち上がった。壁につかまりながら息を整えると、苦しげに声を出した。
 「みぬきを・・・知らないか」
 その目は鋭く私を見ていた。
 「いや・・・」
 言いながら私は部屋の奥をちらりと見た。
 「何かあったのか?」
 「別に・・・知らないならいいんだ。突然悪かった」
 それだけ言って成歩堂はきびすを返して走り出そうとした。私は思わず外まで躍り出てその腕をとった。
 「探してるのか?彼女を」
 成歩堂は一瞬だけ私を見て、また外に目線を戻した。
 「まあね」
 「何があったんだ」
 一瞬間があったが、成歩堂は腕をひねって私の手を離し、ようやく口を開いた。
 「オバケが出るって言うんだ」
 「・・・は」
 成歩堂を見ると、悲しげな顔で地面を見ていてた。
 「家にオバケが出るって言って、それで・・・家を出ちゃったんだ。なんでか」
 「はあ・・・」
 「あちこち聞いてみたんだけどいなくって・・・。おまえこのあいだ、みぬきと会っただろう」
 「ああ」
 成歩堂は唇を噛んだ。
 「ひょっとしてって思ったんだけど。・・・そうか、知らないか」
 私はもう一度部屋の奥を見たが、変わらぬ廊下が続いているだけですぐに目を戻した。
 「役に立てなくてすまない」
 「いや、こっちこそ悪かった」
 成歩堂は背を向けて帰ろうとした。が、すぐに振り向いて私を見た。
 「もうさ、みぬきと会わないでほしいんだ。最初からそういう話だったんだし」
 「・・・そうだったな。私からは会わない」
 私がそう言うと、成歩堂はさっと背を向けた。
 「じゃ・・・さようなら」
 成歩堂はかすれた声で呟くとのろのろと歩いていってしまった。
  



03

 私はリビングまで歩いていき、ドアの影に向かって声をかけた。
 「そういうわけ・・・だったのか?」
 「そういうわけ、だったんです」
 するとそこから、体の小さな少女が姿を現した。私は彼女が笑顔でいるのを見て少し気が抜けた。
 「成歩堂は心配していたようだったが」
 ため息混じりに言うと、みぬきはその明るい目を上げて悪戯っぽく笑って見せた。
 成歩堂がやってくるほんの少し前、彼女が突然私の家を訪れたのだった。
 父が来ても黙っていてほしいと言うので、成歩堂とケンカでもしたのかと従ったが、彼女を失って慌てる成歩堂を見るのは少々胸が痛んだ。そんな成歩堂の姿を見て後ろで隠れている彼女が気を変えないかと思ったが、結局彼女は最後まで姿を見せなかった。
 「仕方がないんです」
 顔と同じく明るい声で言う彼女が、私にはよくわからなかった。
 「何がだろう」
 「オバケがいるんですもの」
 私はそう言う彼女の瞳を覗き込んだ。
 「・・・ウソだ」
 「まさか」
 みぬきは少しだけ頬を膨らませた。
 「君は幽霊も信じていなかっただろう」
 「幽霊とオバケは違います」
 「どうかな」
 私はキッチンに向かいながらも彼女から目を離さなかった。「ただ単に、家出がしたくなったようにも見える」
 「ぎくぅ・・・っていう答えがいいんなら、それでもいいですけど」
 私はひとつため息をついて、やかんを火にかけた。薄暗い中に青い光が踊る。
 「あんまり親を心配させるんじゃない」
 「だから」
 みぬきは立ち上がって二三歩こちらに近づいてきた。「悪いのはパパでもみぬきでもありません。オバケなんです」
 私は身をひねって彼女を視界に収めた。
 「オバケ・・・な。いったいどんな」
 みぬきは、よく聞いてくれたという顔で大げさに手を振った。
 「すっごおぉぉっく、怖いんです。それで、ウソをつくと取りつかれちゃうんです」
 「それがなんで、君たちの家にいるんだ」
 「知りません。そんなの。でもパパはウソつきだからもう取りつかれちゃってるんです。だから逃げてきたの」
 「ウソつき?」
 私は音を立てだしたやかんの火を止めた。
 「気がつかないっていうのは・・・」
 みぬきは言葉を切って私の目を見た。
 「もう騙されてるんですよ、パパに」
 そう言うと、みぬきは力強く微笑んだ。



04

 私たちは向かい合って座っていた。
 卓上に置かれているのはふたり分のカレーライスで、子どもに何を食べさせたらいいのか他に思いつかなかった私が作ったものだった。ありがたいことにみぬきは嬉しそうに食べていたので、この選択は外してはいないようだった。
 間断なくスプーンを運ぶみぬきを見て、私は少し成歩堂が羨ましくなった。
 「もう遅い」
 皿の上がおおかた片づいたみぬきに諭すような声で話しかけた。
 「あとで家まで送ろう」
 みぬきはきょとんとした顔で私を見た。
 「帰りません」
 「・・・そういうわけにはいかないだろう。君には親がいるんだ」
 そう言うと、みぬきは見る見る顔を泣きそうにゆがめた。
 「みぬきが、オバケに食べられてもいいって言うんですね」
 「そうは言わない」
 みぬきは口をへの字に曲げて、いかにも私の言うことが意に添わないのだと主張した。
 「大丈夫だ」
 私は、なるべく優しげに聞こえるよう苦労しながら言葉を探した。
 「君には・・・成歩堂がいるだろう」
 みぬきはまだ口を固く結んでテーブルを睨んでいた。
 「パパも・・・」
 「なんだ?」
 「パパも同じこと、言ってました」
 「・・・そうか」
 私はおそるおそるみぬきに手を伸ばしてみた。
 彼女は逃げずに、私が頭をなでるのを黙って許した。
 「なら・・・大丈夫だ。成歩堂がいるんなら」
 「ほんとうですかあ?」
 みぬきはまだ淋しそうな目でこちらを見てきた。なぜだか私にはそれもどこかほほえましく見えた。
 「ああ・・・。私が保証する」
 するとみぬきが顎を引いたので私は彼女から手を離した。
 「ひとつ、聞いてもいいですか」
 私は一回、大きく頷いて見せた。
 「パパに・・・会いたいと思いますか。いま」
 私はしばらく答えないでいた。みぬきも、何も言わずにただ待っていた。
 「会えなくてもいい」
 ポツリと言うとみぬきは身を乗り出してきた。
 「それで君たちふたりが幸せなら、それで構わない」
 みぬきは何か言いたげな顔をしたが、結局あきらめたのか皿を流しに運んでいった。



05

 結局夜半になって成歩堂がみぬきを迎えに来た。
 私たちは簡素な挨拶をし、私は奥に下がったままのみぬきを呼び出した。
 みぬきがおそるおそるといった風で廊下を歩いてくると、成歩堂の顔を見ずに私の後ろで立ち止まりシャツのすそをつかんだ。怒られないか怖がっているのだろう。
 しかし成歩堂はそれを見て眉間にしわを寄せた。
 「みぬき。・・・お礼言って、帰ろう」
 それでもみぬきは動かず、私の服のすそから手を離さなかった。
 「随分気に入られたんだ」
 成歩堂はどこか皮肉っぽい口調で言った。
 ひょっとして、と私は思った。成歩堂は自分にみぬきが愛想を尽かしたのかもしれないとでも思ったのかもしれない。私は足もとのみぬきを見た。突然彼女を預かることになり、一人で育てた娘にそんなことを疑うのはきっと辛いことだろう。私はみぬきの頭を抱く手に力を込めた。
 私は後ろに立ったみぬきの頭をなでながら、なるべく穏やかな声で言った。「怒らないさ」
 みぬきは顔を上げて私と目を合わせたが、それから成歩堂を見て頷いた。
 「・・・うん」
 みぬきはそう言って靴を履くと、成歩堂のいる玄関の外に向かって歩いた。成歩堂は自分の手を握るみぬきの頭を優しくなでていた。
 「でも・・・よくわかったね、御剣の住所なんて」
 「・・・・・・」
 お互いの名誉のために、みぬきが来たのは成歩堂が私を訪ねてきた後ということにしてある。私とみぬきはそっと目線を合わせて目配せした。
 「さて・・・」
 成歩堂は一歩後ろに下がった。
 「もう帰らなきゃ」
 その言葉に、みぬきが成歩堂の手をつかむ指に力を込めたのが見えた。
 「そうだな・・・もう遅い」
 私は玄関に出したままだった靴をひっかけて、外に出ていたドアノブに手を伸ばした。
 「さようなら」
 成歩堂のその言葉はやけにはっきり聞こえた。私は思わず目を細めた。
 そもそも、もう会わないはずだったのだ。今日こうして私たちが、みぬきを挟んで会っているということの方がおかしいのだ。今ここで別れても、今さら前に戻るだけだ。
 彼は私にみぬきを会わせたがらない。彼自身も私に会わない。それは職を退いた彼が真っ先に決めたことだ。私にはどうしようもない。
 私も成歩堂と同じ言葉を口にしようとしたが、重たいそれはうまく口を滑っていかなかった。それでも覚悟を決めて成歩堂の目を見、はっきりと口を開いた。
 「さ」
 「わっ」
 私の決心は成歩堂の慌てた声で中断された。みぬきが、成歩堂手を振り払って猛然と走り出したのだ。
 成歩堂は小さくなるみぬきの姿を目で追いかけながら、腕を中途半端にのばしてぽかんと立っていた。
 「・・・成歩堂」
 「・・・なに」
 成歩堂はまだ彼女の走り去った方を眺めていた。
 「逃げられたぞ」
 「わかってるよ!」
 そう言うと成歩堂は身を翻して走り出した。



06

 耳元を風が切っていくのが聞こえる。
 息を切らせて走る私の隣でやはり成歩堂も必死で走っていた。
 「足が速いな、君の娘は」
 「どうも」
 成歩堂はちらっと私を見て、また前方のみぬきに目を戻した。
 「特に逃げ足はね。それが自慢でね」
 速いというよりは逃げるのがうまいと言った方が正しいのかもしれない。彼女は何度も切り返しを混ぜたり角を曲がったりして、体の重い私たちを引き離していた。
 彼女は電灯も少ない細い路地を、縫うようにしてすいすいと進んでいった。
 「どっち行った?」
 「あっちから音がする」
 成歩堂は私の後ろから道を覗き込んだ。
 「・・・いないよ」
 注意深くそちらの道を見る。街灯も家の明かりも途切れてちょうど死角になっている。
 そのときゴミ箱の倒れる音と猫の鳴き声がした。
 「塀の上だ!」
 みぬきは民家のブロック塀の上を器用に走ると、三メートルほど先で塀の中に飛び降りた。
 「・・・知恵が回る子だ」
 「それも自慢でね」
 大げさに回り道をして民家の玄関に回ると、みぬきはすでに随分先を走っていた。等間隔に置かれた街灯のおかげで、姿が現れたり消えたりしている。後ろから追いかける私たちが彼女に追いつきそうになると、みぬきはまた器用に姿をくらましてしまう。そんなことを何度か繰り返した。
 やがて路地から車道に出た。夜間になって点滅している信号を無視して、みぬきは横断歩道の向こうに走り去った。
 「車道に出るときは一度止まれって言ってるのに!」
 「そんなことを言ってもしようがないだろう」
 そう言って私たちも車道を駆け抜けた。背後で苛立ったようなクラクションが鳴った。
 だんだんふたりとも息が上がってきた。少しずつ間が開いていっているように見える。
 「・・・勝てないな。現役の小学生には」
 「そーだね・・・。ちょっと待って」
 気がつくと成歩堂は後ろで電信柱にもたれていた。私は立ち止まって彼が息を整えるのを待った。
 「・・・小学生の頃はもっと走れただろう、君は」
 「・・・そうだったかな」
 「そうだった」
 成歩堂は重たそうに姿勢を持ち上げて、また走り出した。私はついていくように後ろを走った。
 休んだせいでまたかなり引き離されていた。二個目の角を曲がってようやくみぬきの姿を見つけた。みぬきは待ちかまえていたのか、立ち止まってこちらに微笑みながら手を振った。そして身を翻すと脇にあった公園に駆け込んだ。
 成歩堂はカンに障ったのか大きく息を吸ってみぬきを呼ぼうとした。
 「・・・み」「待て」
 私はそれを手で制した。
 「こんな時間だ。通報されたいか?」
 成歩堂は一瞬泣き笑いのような顔をしてまた前を向いた。
 みぬきの逃げ込んだ公園は小さく、何メートルか先ですぐまた出口になっていた。
 前を走るみぬきを見てたまらなくなったのか、成歩堂は「みぬき」とこぼした。それを聞いてみぬきは身をひねって「帰らない!」と叫び、目の前にあったすべり台の上に駆け上がった。
 この公園の街灯はすべり台の横に置かれたひとつだけで、みぬきはそのすべり台のてっぺんで明かりに照らされていた。
 私たちは立ち止まってしばらく荒い息を繰り返していたが、やがて成歩堂は背筋をのばしてみぬきに向き直った。
 「みぬき、駄目だよ。帰らなくちゃ」
 「いや!」
 成歩堂は口を固く結んで、複雑そうな表情をした。それを見て私は心配になった。みぬきは本当に、成歩堂が嫌で家出をしてきたのかもしれない。
 私は頭上のみぬきの顔を見た。彼女は笑っていた。
 「帰らない」
 みぬきはもう一度噛んで含めるような声で言った。
 「だってパパが、オバケに取りつかれてるんだもの」
 「な・・・」
 成歩堂は目を丸くして私を見た。
 「そ、そういう話だったの?」
 「らしいな」
 成歩堂はみぬきの方を向いて声を荒げた。
 「なんで・・・」
 「言ったでしょ!ウソをつくと、オバケに取りつかれちゃうの!」
 「いつぼくがウソなんかついたって言うんだ」
 「ああら」
 みぬきは胸を張った。そして大きく息を吸って声を張り上げた。
 「泣いてたのは、どこの誰だったのかなあ」
 「げ」
 成歩堂はうめいて後ろに下がった。そしてそれきり硬直しているのが後ろからでもわかった。
 「本当のこと言わないと、オバケが出てかないよ、パパ」
 「う・・・」
 私は何のことかもわからず黙ってふたりのやりとりを眺めていた。とにかく、今はみぬきが優勢らしいということだけはわかった。
 「言わなきゃみぬきが言うけど」「ま、待って!それは・・・ほら」
 成歩堂は慌てて腕を振ってみぬきを止めた。それから私をちらりと見て、またみぬきを見た。
「始めっから、これが目当て・・・だったわけだ。怪談話の続きをやろうって・・・」
「みぬきをダシにしてくれたお礼」
 成歩堂はのろのろと私の方を向いた。ちょうど逆光になって表情はうまく見えなかったが、下を向いて何やら逡巡しているのがわかった。それにしびれを切らしたみぬきの、「パパ!」という声でみぬきはようやく顔を上げた。
 「あのさ・・・アレ、ウソだったんだ」
 アレというのが何か、私には見当がつかなかった。成歩堂はやはり言い難そうにせわしなく体をよじった。声にならない呻きが何度か聞こえたが、それが本当に言葉になったのはそれからたっぷり経ってからだった。成歩堂は、熱に浮かされたようなかすれた声でつぶやいた。
 「会いたかったよ」
 それは小さな声だったが、私の耳にははっきりと聞こえた。
 私は、まだ視線を落としたままの成歩堂を見て、それから頭上のみぬきを見た。
 そうか、と私は思った。ウソだったのか。
 私はそのウソに長いこと付き合わされてきたわけだが、不思議と腹は立たなかった。
 私が彼を見ると、成歩堂はヤケになったかのように大声で言い直した。
 「・・・会いたかったんだよ。本当は。・・・・これでいい?」成歩堂は背後のみぬきに伺いを立てた。
 みぬきはすべり台の上で憤慨していた。「これでいい、は余計でしょ!」
 成歩堂は背後を向いたままこちらを見なかった。仕方がないので、私は表情ではなく声に出して言った。
 「私も会いたかった」
 それを聞くと、成歩堂は背を向けたままその場にしゃがみ込んでしまった。
 またすべり台の上のみぬきを見ると目が合った。それで、ふたりで声もなく笑った。






end


初出(ブログ掲載)
01-07/08/16
02-07/08/17
03-07/08/18
04-07/08/19
05-07/08/20
06-07/08/21




emanon  since:07/04/06/fri  後(usiro)