04
どうぞ、とカップを狩魔冥の前に置くと、彼女はぼくの顔をじっと見て目元をこする仕草をした。
「赤くなってるわ」
慌てて目元に手をやったが、そこはもう乾いていた。
狩魔冥はカップの中身を一口すすると息をついた。
「忙しそうね」
「まあね」
ぼくも自分用に出したカップを手でもてあそんだ。
「でももう・・・これが終わったら暇になるだろうから・・・」
狩魔冥はなにも言わなかった。
ぼくもなにも言わず、しばらく窓の外を見ていた。
それがずいぶん続いたあと、ぼくは声を出した。
「誰に・・・聞いたの?」
「耳がいいのよ」
彼女はそう言うと、静かに顔をぼくに向けた。
「結局バッジは・・・駄目なのね」
狩魔冥の言葉はどうにも耳に痛かった。まだあのとき居合わせていなかった人間には誰にも報せていない。それが、向こうから言われた方が辛いのだとぼくは初めて知った。
「そう思うよ、多分」
ぼくがそう頷くと、彼女は苦しそうな顔をした。
「言わなかったのね。レイジに」
「・・・うん」
「私、言ったのかと思ってたわ。だからレイジがなにも知らないから驚いて」
「言おうとは思ったんだ。でもさ・・・」
狩魔冥は、またカップを手に取った。
「言えないんだよ」
言えずに、ぼくは静かに眠り続けていたのだ。つまりは、御剣がことの次第を知らないということだけがぼくを安心させてくれていたのだ。
「でも、言わないわけにもいかない・・・」
狩魔冥の声は語尾を曖昧にしたまま消えた。ぼくはぎゅっと自分の腕をつかんで目をそらした。
「三年だ」
「な・・・にが?」
狩魔冥は身を乗り出して尋ねた。ぼくは目をそらしたままだった。
「千尋さんが生きてるとき、三年したらまともに使えるって言ってたんだそうだ。それから・・・今年で三年目だ」
「・・・・・・」
「ぼくは何のために弁護士になったんだ?・・・助けのない人々を救うためだろ?それが・・・使いものになる前にこれだ。・・・馬鹿みたいじゃないか・・・」
声が震えているのが自分でもわかった。
「自分自身も救えないで・・・誰に言えるんだ?こんなこと」
じっと睨み続けていた部屋の隅には埃がたまっていた。そんなものすら自分の情けなさを責めているようで苦しくなった。
苦しい―。
―すると、カツカツと乾いた音がした。
思わず目を移すとそれは狩魔冥が靴を鳴らした音だった。彼女は無言で目元をこすって見せた。慌てて袖口でふき取ると、今度はそこはしっかり濡れていた。
「気にすることはないわ」
狩魔冥は穏やかな口調で言った。
「あなたはあなたを救えなかったかもしれないけど、でもレイジは誰が救ったの?あなたでしょう」
彼女はいつもの堅い表情を崩さずにいたが、心なしか笑って見えた。
「あなたはちゃんと救えてるわ。きっと、許してくれるわよ」
ぼくは彼女の目を見て、そして深く息をした。
「・・・そうかな」
「そうよ」
ぼくはもう一度深呼吸してゆっくりと立ち上がり、背もたれにかけたままの上着を手にとった。
「行くの?」
「・・・うん。そうする」
そう言ってドアのところまで歩くと、狩魔冥が声をかけてきた。
「それにしても残念ね。もう少し弁護士を続けてたら、あなたをぼろぼろに負かした私が見れていたのに」
それを聞いて、ぼくはようやく笑った。
「それはどうかな」
言いながらドアを閉めると、外はもう暗くなり始めていた。
end
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